「惑い」








頼まれた文を従者を通し渡すか、まぁ直接会って渡すか。

どちらにしろ渡すことに対しては変りはないが,俺の仕事はそれで終わり。

其の後は、自分の天幕に戻り、明日の戦に備えるだけ。

そう、思っていた。

いや、当初の予定ではそのはずだった。

なのに・・・


「この文を我が軍の呂子明よりお届けするよう申し付かってまいりました」

そう、従者に告げ暫く待たされ、俺は天幕へと通された。

直接渡し、中の文章に対する返事か何か受け取って帰ることになるのかなと、思っていた。

だけれど・・・



「なんで・・・あんたが、ここにいるんだよ・・・?」

天幕の中へと通され、俺が一番最初に目がいったのは、頭に水鳥の羽を指しこちらを見ようとしない父上の仇だった。

いきなりのことに、動揺してしまった俺の声は聞いていてわかるほど掠れてしまった。

「こいつとは、少し前から飲む仲でな・・・すまんな。それで、呂蒙殿からの文、渡してもらいたいのだが」

「あ、す・すみません!」

入り口近くに座っていたアイツの前、つまり上座に座っていた夏候惇が立ち上がり、俺に手を差し出してきたので、慌て俺は手に持っていた文を渡した。

「・・・・・」

その場で開き、そして中を確認すると一瞬だけ夏候惇の視線はアイツへと向けられた。

中には何が書いてあったのだろうか・・・・?

「・・呂蒙殿には了解したと、伝えておいてくれ」

「はっ。しかと承りました」

俺は頭を一度下げ、アイツを極力視界に入れないように夏候惇の天幕から出た。



それから呂蒙殿へ報告を済ませた俺は、自分の天幕へと戻り明日の戦の準備を始めた。

といっても、既に武器も整備され後は自分が寝れば良いだけだったのでやることも直ぐ無くなり寝つけない時間を持て余すことになってしまった。

その間、ずっと頭から離れないのは、夏候惇が一瞬だけアイツを見たときの視線。

俺が文を渡し、返事を貰うまでの間こちらの方を見ずに酒をただ静かに飲んでいたアイツ・・・そして、あの文の中には一体何が書かれていたのだろうか・・・



次の朝、目覚め直ぐに俺は鎧を纏い武器を持ち自分の持ち場へと馬を走らせた。

そこにはまだ殿も着ておらず、自分の軍とあと数十人の兵士が拝眉されているだけだった。

こちら側が丘の上になっている坂の下。

そこに、今日攻め入る城がある。

「此処からだと・・・あそこの門を突破することが一番良いのだろうな・・・」

そう、いきなり横から聞こえてきた声に俺は慌てそちらを向いた。

「あ・あんたは!」

「早いな・・・まだ、戦を開くには充分時間があるというのに・・・」

いつのまにか俺の横には昨日、文を届に行った魏の夏候惇がいた。

「今日も青天か・・・暑くなりそうだな・・・」

「あんたも、ここの配置なんですか?」

視線を再び城へと戻し、相手を見ずにそう聞いた。

「ああ。よもや、そなたがいようとは」

少しだけ笑みを含んだような声で答えた。

視線を上に向けると、空はまだ少し茜色に染まっており、今日の青天を示すかのごとく雲がひとつも浮んでいない。

「・・・・一つ・・」

「ん?」

「一つ、聞いても・・・いいですか・・・?」

「答えられるものであればな」

俺は昨日から気になっていたことを聞くことにした。

「昨日、俺が届けたあの文・・・中には一体何が書いてあったんですか

空を見上げたまま、そう尋ねた。

「何故?」

「・・・俺の前で文を開いたあんたは、一瞬だけアイツに・・・・甘寧に視線を投げた・・・

「・・・・」

「その仕草が・・・何か、気になったです・・・」

「凌統・・・と、言ったか・・・?」

「ええ」

「そなたの父君は餓鬼・・・いや、甘寧によって殺められたと・・・」

再び視線は、眼下の城へと。

「そうです」

声色は天気のことでも話すような言い草。

「・・・・・・憎いか?」

この質問に俺は一瞬だけ、息を詰める。

「・・・・・そりゃー・・・クククッ・・・・憎いでしょうよ。なんせたった一人の父を殺されたんですから・・」

「そうか」

「でも・・・・、それだけのことなんですよ」

俺の心の水面は波が立つことなく、ただ静に広がっていた。

「何?」

「憎いというだけのことで・・・ただ、それだけのことで、それ以上でもそれ以下でもない・・・それ以上のことを探しても見つからない・・・・」

「そうか・・・」

そう言うと、夏候惇が静に頷いたのが視線の端で見えた。

「・・・・・今日の戦、餓鬼の軍は途中で一旦引くそうだ」

「・・・・」

「そして、裏手に回り敵の背後から突く。それと同時に、火矢を城に放ち敵を一網打尽にすると・・・・、そう昨日届けられた文には書いてあった」

「・・・・」

「そして、出来れば餓鬼を守って欲しいとも・・・・」

「守る?」

「ああ・・・。火矢を打つのは相手が逃げ出せないようにするため。そうすると、餓鬼も・・・きっと城から出れまい・・・。そのまま城ごと敵ごと一緒に業火 に包まれるだろうと・・・仲間を向かわせ救出は試みるそうだが、助け出せるかどうかは五十厘にも届かぬらしい」

「じゃぁ、このままほっとけば俺は解放されるんですかね?」

俺の視線は眼下の城を捉えながら、静かにそう聞いた。

「かもしれないな・・・呂蒙殿は、俺に餓鬼を助けてやって欲しいと・・・実は秘密裏に文を託した・・・」

「へぇ・・・、いいんですか?俺にそんな機密を漏らしちまって?」

昨日、俺に文を託す呂蒙殿が少しだけよそよそしく感じたのはそのためか・・・

「凌統。お前は餓鬼が憎いと、言っていたな?それ以上でも無く、それ以下でもなく、ただ単に憎いのだと・・・。それは、父上を殺されたからか?」

「・・・・なんですか、急に・・?」

相手の話しの進め方がいまいちはっきりせず、俺は少しだけ不安に刈られた。

「答えてくれないか?」

「・・・・そうでしょう・・・父上は、俺の絶対的存在だった・・・それをアイツは・・・・」

自分でも驚くぐらい静に紡がれた言葉。

だが、それとは裏腹に、馬の手綱を持つ手は爪が食い込み掌には血が流れ伝った。

「・・・不安か?」

「・・・っつ!!」

其の様子を一瞥した夏候惇の言葉に、俺は馬に乗ったまま、相手に掴みがかりそして、叫んだ。

「・・・さっきから一体何なんだ!?話の先をはぐらかしてばかり!!あんたは・・・あんたは俺に一体何を言わせたいッ!?」

俺の中の何かが、叫んだ。

これ以上、こいつの話しに耳を傾けたらいけないと。

「不安か・・・・」

「だから、一体!?」

更に食いかかろうとした矢先、

「何をしている!!凌統!!」

俺を静止させる殿の声が響いた。





back
next