「頤」













「餓鬼・・・・何があったかはもう聞かない。だがな、そんなに悲しそうな顔をするのは止めてくれ」

そう言うと、抱きしめていた腕に力が入るのが分かった。

「・・・・・そんな顔・・・・」
「してないとは言わせないぞ?」

顎に手をかけられ上を向かせられる。

「そんな顔を見るため、俺はここに着たのではない・・・」

真剣な顔が見える。

「え?・・・ん・・・」

それ以上言う前に、唇を塞がれた。
何故だろう・・・・前にも思ったけど、嫌という気持ちはわかなかった・・・・・
暖かくて・・・何故だか安心してしまうような気さえした。



暫くして、その温もりは去った。

「・・・だから、笑ってくれ・・・・」

懇願するような声色。

「・・・・・勝手に・・・・すんなよ・・・」

・・・どうすれば、いいのか分からなくて・・・何て言えば・・・分からない・・・・・

「断ればしていいのか?」

馬鹿にしたような声に俺は急に恥ずかしくなって怒鳴った。

「ッ!!んなこと言ってんじゃねーよ!!!」
「そんなことを言っているんだろうが」
「ッ〜〜〜///!!!いつまでも人を抱きしめるな!!離れろ!!!」

俺は、夏候惇の腕から逃れようと身をよじり、思いの他、抱きしめていた腕はすぐに離れた。

「ぁ・・・・・・・・・」

・・・・おかしい・・・・・何故か無性に寂しく、思えた。

「どうした?・・・俺の腕がなくて寂しいか?」
「ッつ!!んなことあるかよ!!!」
「それは残念だ」
「残念がるな!!!ほら、呂蒙が良いって言ってたんだ!!いくぞ!!」

俺は不意に感じた不安を払うように、稽古場へと急いだ。







「貴方が魏の夏候惇殿か。お初にお目にかかる。儂は呉の呂蒙、字を子明と申す」
「丁寧な挨拶、痛み入る」

・・・・なんかおっさん同士の挨拶って・・・・・・・・・・・・・・・・・むさ苦しぃ・・・・
あの、なんつーの・・・・呂蒙なんて今さっきまで稽古してたから汗がいやな感じに光輝いてるし二人して『ひげ』だし。
・・・・しかも二人して毛深かそうだし(ひげが)・・・・・・・・・・

「どうしたのだ甘寧?そんな眉間にしわを寄せて」
「どうした餓鬼?」

っは。ついつい二人の観察に熱が入ってしまった。

「い・いや、なんでもねーなんでもねー!」

慌てて手を振り、ごまかす。

「そうか?」

まだ訝し気に此方を見て来るものの、二人とも深く追求しないでくれた。

・・・。もし、ここで深く追求されたら、きっと俺は二人の無双乱舞をモロに受けることになるだろう・・・。
なんせ、『おっさん』について考えてたんだし・・・・



「さて、ではどういたしますかな?夏候惇殿。誰かと剣でも交えますか?」
「そうだな・・・・」

そういいながら、一通りそこに居たやつらの顔を見ていく夏候惇。
そのまま、俺の方へと視線は流れ・・・

「よし、餓鬼。俺と一戦交えぬか?」
「お・俺かよ!?」

いきなりご指名かよ!!

「話した事は何度もあったが、剣を交えることは無かったからな。たまには良いだろう?」
「・・・そういえば・・」

こいつと、話しをすることは何度と無くあったが、実際面と向かって剣を構えることは無かったような気がする。

「そうだな・・・、甘寧。怪我するなよ?」
「おっさん、あんたこの俺が簡単に負けるとでも思ってんのかよ?」

少しだけ、心配そうにしている呂蒙の表情が伺えた。

「いいや、そうは思ってないが相手は可なりの腕の持ち主。注意することに越したことは無い」
「ふん。言ってくれるじゃねーか。いいぜ、その勝負受けて経つ!」

おっさんが心配するほど、俺は弱くない。負けることなんてありえない。勝利のみ、俺の手には握られればそれで良い。

「よし決まりだな。すまないが呂蒙殿、立会人を頼まれてくれるか?」
「ああ。承知した。この呂蒙、甘寧の終わりをしかと見届けよう」
「おいおい・・・だ〜か〜ら〜、そんな簡単に負けねーって言ってんだろうが!!!」

二人して俺をからかっているのが分かる。でも、嫌な感じじゃない。とても・・・なんって言うんだろう・・・暖かいような・・・くすぐったいような・・・そ んな、感じだった。

「おい、夏候惇。ほれ、ここでの獲物だ」

俺は、まっすぐに削られた山椒の木の棒を夏候惇へと投げ渡し、それを受け取ったのを見届け、おっさんが試合の説明をした。

「よいか、どちらか一方の武器を弾き飛ばす、もしくは相手を追い込むことが出来ればそこで勝敗を決めることにする。ただし、急所攻撃などの禁術は禁止とす る。よいな、怪我を負わせたら即座に負わせた方の負けとする。では、両者とも構え」

言葉と共に、それぞれの構えで棒を握りこむ。

「始め!!」

俺は合図と共に、一気に相手の懐に飛び込むように身を沈めそのまま前へと駆け出した。
そして、棒を軸に足蹴りを食らわす要領で夏候惇が構えていた棒を蹴り上げる。

「っと!」

それを読みきっていたように、夏侯惇の棒は空を横切りにし蹴りを交わすと同時に俺が軸にしていた棒を一気に打ってきた。

「ッツ!!」

体制を崩し、俺は握っていた手の反対側の手を地に付け腕の屈伸と、腹筋で良きよいよく起き上がった。

「ほぅ・・・あの体制からすぐさま起き上がるとは、やはりなかなかやるな餓鬼」
「あんたもな。打ってきた力の強さ、半端じゃねーよ・・」

そう、半端な力じゃない。山椒の木は硬いことで有名だが、その硬い木でさえ打たれた瞬間、悲鳴のような音を上げたのだ。

「褒め言葉として受け取っておこう・・・!!」

今度は向こうから仕掛けて来る。棒を剣のように握りそのまま振りかざすように棒を振り被って来る。

「っく!!」

棒を横に構え、とっさに受けたがそれはとても重く、受け止めた腕に強い痺れをもたらした。

「どうした?防いでいるだけでは勝てぬぞ餓鬼」
「餓鬼餓鬼って・・・言ってんじゃねーよ!!!」

両手で棒を握り、防いでいた相手の棒を力いっぱい押し返し、体制が一瞬崩れるところを見計らい、再び懇親の力で切りかかるように俺は夏候惇へと棒を振り上げた。

だが・・・

「・・・ック・・・」
「覚えておけ餓鬼。お前は剣を振り上げるその一瞬、懐ががら空きになるんだ」

俺が棒を振り上げ、そして降ろす瞬間、一瞬速く夏候惇が俺の首に棒を突きつけてきた。
文字通り、俺は動けなくなり棒を振上げたままの格好で止まるしかなかった。

「勝負有り!!」
「ッチ・・・」

呂蒙の言葉に、首に当てられていた棒は外れ、俺も振り上げていた腕を下ろした。

「いや〜、なかなか。御強いですな、夏候惇殿」
お褒めの言葉、ありがたく受け取らせていただく」

勝つ気が勝っていた分、負けたときにはかなりの苛つき伴った。

「・・・ッケ」

俺は、近くに居た兵士に棒を押し付けそのまま自室へと歩き出した。

「おい、甘寧!!!!」
「・・・・・・」

後ろでおっさんの声が聞こえたが、俺はそのまま自室へと向かい不貞寝を決め込むことにした。






部屋に戻り、寝床へと横になった。


『覚えておけ餓鬼。お前は剣を振り上げるその一瞬、懐ががら空きになるんだ』


そんなつもりは無かった。無論、戦の時には当たりに気を張り巡らせる。少しでも視界で何かが動こうとするのであれば一瞬で切り落とせる自信があった。
あったのだ。自信は・・・・。

「っくそ・・・・」

苛付く。あのヤローの所為で・・・・
いや、違う。あいつに負けた俺自身に苛付いてるんだ・・・・。

「・・・・・・・」



『覚えておけ餓鬼。お前は剣を振り上げるその一瞬、懐ががら空きになるんだ』



懐・・・。俺は自分の胸の辺りに腕を持っていった。
あの瞬間、速く動けていたと思った。相手より。なのに、実際はどうだ?
振り上げた瞬間、数秒にも満たないその一瞬に俺は命を落とされた。
アレが本物の鉄で出来た剣であれば、俺は間違いなく死んでいた。
それ程の動きが、あいつには可能なのか・・・・・
俺は・・・まだ、餓鬼なのか・・・・





合肥での戦いで、俺の戦い方を観て夏候惇はまだ餓鬼だといってきた。
切りかかるだけではなく、相手の次の動きを予測して、不意を付く。
そうすれば、今よりもあまり動かずに相手を倒すことが出来ると。
・・・・俺は、長い間賊をやってきたし腕には自信があった・・・。
そりゃー、完全たる無敵というわけではないのは分かっている。
でも、こうあっさりと負けてしまうとどうも、やるせなくなる。



『おい、興覇。今宵、こちらのお客様に仕えるように』

『ほら、おいで・・・怖くは無いからな・・・』

・・・嫌だ・・・・やめてくれ・・・・

俺は、もう・・・こんなことは嫌なんだ・・・・・

『どうだ、たっぷり可愛がってもらえたか?』

『阿寧は、俺たち年上の言う事聞いてれば良いんだよ』

やめてくれ・・・・

『この、淫乱が・・・』

違う・・・俺は違う・・・・・

『お前は売られたんだ。ここから逃げられると思ってるのか?』

『一生、お前を買ってやる・・・そうだな、私専用として買い上げても良いな・・・』

『ほら、お前にはこの泥団子を食わせてやるよ。ありがたく思えよな』

・・・嫌だ・・・

・・・・・嫌だ・・・・止めて・・・くれよ・・・・・

・・・もう、・・・・沢山だ!!



「・・・鬼・・・・・餓鬼!!!おい!!起きろ!!!」
「ッ!!」

俺は・・・・寝ていたのか・・・・?

「おい!!大丈夫か!?」
「・・・ぁ・・・」

俺の目の前には夏候惇の顔があった。

「随分とひどく魘されていたが、どうしたんだ・・・?」
「大・・・丈夫だ・・・・・・」

嫌な・・・・夢だ・・・・
俺は自分の肩を抱きしめた。
昔の・・・・昔のことだ。大丈夫だ・・・。

「顔色が悪い。さっきは無理をさせたか・・・・?」
「いや・・・違う。・・・ちょっと・・・・夢見がわるくて・・・・さ」
「夢・・・?」

いぶかしげな表情でこちらを見てくる。

「ああ・・・・昔の・・・・・・事だ。気にしないでくれ・・・・・」
「そんな格好で気にするなと言われても、無意味だと思うが?」
「・・・・ぇ?」

俺は肩を抱きしめたまま、無意識のうちに身を丸くしていた。まるで、本当の幼子のように。

「・・・言えぬか?」
「・・・・・・」
「無理にとは言わぬ。ただ、少しでも気が晴れるのであれば、それでいい。話して見ろ」

・・・・・ああ・・・。あの感覚だ。どこか安心できるようなそんな、声。

「・・・・・俺が、賊だったってーのは・・・・・知ってるよな?」
「ああ」
「・・・・俺は、賊に入る前・・・・・ちいせぇーときにさ・・・その、陰間茶屋で働かされてたんだ・・・・」
「・・・・・」

驚きもしない。表情を変えず次に話すことを待っている。

「そこはさ、ひでぇーとこでよ・・・食事は一日一食、食えりゃーマシって・・・・感じでよ・・・・そのくせ、客は夜だけじゃない。暇さえありゃー昼間だって店開いて、客を呼 んで相手させられて・・・・きっと、誰も彼も疲れてたんだよな・・・・年上のやつらは皆して年下のヤツをいじめる・・・・。腹減ったって言ったら無理矢理 に泥団子を口の中に突っ込んでくるし、無理矢理・・・身体の自由を奪って客と同じ事をしてくる・・・今思えば、荒んでたんだと思う・・・・誰もよ・・・で も、あの頃はそんなこと考える余裕なんか無くて・・・毎日が辛くて・・・・」

それまで、黙って俺の話を聞いていたあいつは寝床に腰掛、俺の頭に手を置いた。

「・・・・・先ほどの夢はそのときの?」
「・・・ああ・・・・・小さい頃の弱くて・・・・なさけねー・・・俺だ・・・・」

あの頃は、毎日毎日「皆死ね」と心の中でのろっていた。心から悪口を叩かない日は無かった。

「・・・・・・大丈夫だ・・・」
「・・え?・・・ぁ・・・」

暖かな言葉と共に、優しく抱きしめられ背中を撫でられた。

「今のお前は弱くない・・・心も、身体も・・・立派に成長している・・・・」

『だから、安心しろ。もう、あの頃のことは忘れていいんだ』

と、そういわれたような気がした。

「・・・・・ッ・・」

不意に、頬に一筋暖かなものが伝った・・・・・もう、思い出す必要は無い。もうあの頃のような思いはしなくていいんだ・・・・

「・・・・興覇・・・・・」
「・・・・・・・」

抱きしめるその身体に腕を回し、自分が今、ここに存在しているという事を肯定させるように強く抱きしめた。

「・・・・大丈夫だ・・・・」

暖かく頭を撫でられ、与えられる言葉。



「落ち着いたか?」
「・・・・・わりーな・・・・・変なとこ、見せちまって・・・・」

あれからどのくらい経っただろうか。俺はようやく抱きしめていた腕の力を抜いて、夏候惇から離れた。

「人間弱いところなど数えたらきりが無い」
「・・・そうだな・・・」
「特に、餓鬼はな」
「なッ!!」

せっかく、人が礼を言ってやったのに、何なんだよその態度は!!

「ま、そのくらい怒れればもう大丈夫だな」

・・・・苦笑じみた表情が何か心に残ったような気がした。

「そ・そういえば、何でここに着たんだよ?」

俺は照れたようなその感覚を自分でも誤魔化すためにワザと話をそらした。

「いやな、お前が去っていくとき一瞬泣いていたように見えて」
「は?」

俺が・・・泣いて?

「何で?」
「いや・・・なんでかと言われても、困るのだが・・・・そう見えたんでな」

・・・なんだかなぁ・・・

「・・・変なヤツ」
「何か言ったか?」
「い〜や、なんも」
「そういえば、呂蒙殿が飯だから速く来いといっていたぞ?」
「もう、そんな刻かよ・・・」

だいぶ俺は寝ていたらしい。

「飯を食い終わったら、俺のとこへ来い。酒を出してやる」
「・・・そう、させてもらう」

きっと、悪態のつき放題だ。今のうちに色々な憂さ晴らしをさせてもらうことにしよう。









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