おとがい
「頤」







その日の夜。

俺は約束どおり夕餉を食べ終えてからそのまま夏候惇のいる客宮へと向かった。


「よ」

「ああ、来たか」

戸を開けるとそこには酒を抱え隣の部屋へと向かおうとしている夏候惇にちょうど出くわした。

「約束どおり着てやったぜ?」

「そうだな。では褒美としてこれをやろう」

と、笑いながら渡されたのは夏候惇が抱えていた酒の樽。

「っと・・・結構重ぇーな・・・・」

揺するごとにちゃぷんと水独特の音、栓をしている口からは仄かに香る酒の匂い。

「まぁな。なんせ3升は入ってるそうだ」

「ふ〜ん・・・こんなところで立ち話してねーでよさっさと飲もうぜ?」

そう言うや否や俺はそのまま酒を抱えて勝手に卓のある部屋へと入っていった。

其処には既に酒のつまみとして、焼き魚を食べやすいように身を解したものや肉、其の他にも酒の肴になるような物が之でもかというほどに並べられていた。

「・・・・・」

「どうした?そんな間抜けな顔をして」

俺の後から入ってきた夏候惇はとても普通に椅子についた。

「いや・・・こんだけの料理いったいどうしたんだよ・・・?」

「酒をくれた者たちがこれもこれもとなにやら届けに来てくれてな・・・・」

少し困ったように苦笑して料理を見ている。

・・・・・

・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・

「それってさ・・・三人の姫君じゃねえ・・・・?」

「よく分かったな?」

やっぱり・・・・

魏からだとはいえ、他の男が着たんだ。ぜってー見逃すはずがねぇ・・・・(特にあの三人の姫達は・・・・・・)

俺は孫尚香、大橋、小橋の三人の顔を様々と思い浮かべた。

ぜってーあいつらがこーゆー機会を逃すわけねーな・・・・・

なんせ、あの三人は好奇心が旺盛すぎるほど旺盛なのだ。

並の人間では到底思いつかないものまで思い浮かぶ。

「・・・・はぁ・・・・」

俺は我知らずのうちにため息をついていた。

「どうした?」

いぶかしげにこちらを見やる夏候惇。

「いや・・・・ちょっと・・な」

あの三人がこいつにどう酒や肴を置いていったのか、それを考え俺は頭痛を感じた。

よそう。考えるだけ無駄だ。

「そ・それよか早く飲もうぜ!!」

「あ・ああ」

少しまだ訝しげだが俺に合わせての向きになってくれたらしい。

「ほれ、注いでやる」

「サンキュ」

素直に杯を差し出し、其処によい香りの酒が注がれた。

「・・・さっきも感じたけどよ・・・」

「ん?」

俺はお返しにと、夏候惇に注いでやりながら言った。

「この酒ってなんかやたら好い匂いがするんだよな・・・・ただの米の酒じゃねーのか?」

「どうだろな・・・良い酒は極上の味と匂いを持つというが・・・」

「じゃぁ・・・これは極上・・・?」

「っくく・・・かもな」

なんとなく笑みがこぼれ、俺は注いでもらった酒を口の中に流し込んだ。

花に少し似ているような甘い匂い、そして舌に染みこむような上等な味。

「・・・・うめぇ・・・・」

思わずつぶやいた。

「本当だな」

どうやら向こうもこれほど上手いものとは思わなかったらしい。

「これは・・・後で何かお返しをしなくてはいけないな・・・・」

困ったようにつぶやいて。

「そうだな・・・・」

確かにここまで美味い酒を貰ってそのままはいさようなら。なんて、できねーな。

「困ったな・・・・」

本当に困ったように眉間に皺を寄せ、悩み始めた。

「・・・ひとまず、後で考えるとして、今は飲まねぇ?」

このまま一人ちびちびとやってるのは気が引ける。

「・・・・あぁ・・・そうだな」

そして俺たちは酒を交わしつつ色々なことを話した。

勿論、自軍の弱点になるようなことは言えず、他愛も無い自分の周りで起きたこと、それに対する不満や愉快なこと。

瞬く間に夜は更けていった。



「昨夜はすまなかった。夏候惇殿。急な用事が入ってしまいせっかくの客人をもてなすことができなかった」

「孫賢殿。いや、気になさらぬな。急な用事では致し方ない。それに昨日は甘寧殿が持て成してくださったぞ?」

それは翌日の昼。

昨日、本当は晩酌に預かるはずだった孫堅が改めて謝りに客用の屋敷へと足を向けた。

「何?甘寧が?」

「うむ。それに貴殿の姫君等が色々と良い酒や料理を持ってきてくださった。こちらこそ申し訳なくて・・・」

「尚香達が?」

驚いたように目を見開く。

「だが、こちらには返すことができるようなよいものが無くて・・・・」

「・・・そうだったか。いや、お気になさるな。あいつ等も好きでやったことだ」

「だが・・・」

孫堅は、苦笑を交えて少し申し訳なさそうに、

「大丈夫だ。それにあいつ等もただ単に面白がっていただけなのだから」

「・・・そうか・・・なら、ありがたく頂戴しておくことにいたそう」

「そうしてくださると、こちらもありがたい。ああ、それから先ほど甘寧が昨夜晩酌を預かったといっていたが、まだここにいるだろうか?」

「ああ。まだ眠っているぞ」

「なっ!!甘寧!!!」

屋敷の中に慌ててはいり客間を覗くと、其処には予備の寝床に気持ちよさそうに眠っている甘寧の姿があった。

「・・・・こいつは・・・・」

孫堅が、怒りと恥ずかしさにこぶしを握り締めると、

「起こさないでやってくれぬか?昨晩は私に付き合って遅くまで飲んでいてくれたのだ。まだ眠いだろう・・・」

「だが、失礼すぎるのでは・・・?」

「私なら気にしない。どうかこのままに」

小さく溜息を吐き、

「貴方がそう申すなら・・・・だが、起きたら必ず私のところへ来るよう言ってくれるか?」

「ああ。しかと承った」

夏候惇は苦笑を浮かべ、そう伝えた。



孫堅の足音が消え、客間の寝床には再び規則正しい寝息だけが聞こえている。

甘寧が眠っている寝床に腰をかけている夏候惇。


『殿って、良い人なのは良い人なんだけどよぉ〜いちいち人を起こすときに怒鳴ったりするんだぜ?んで、殴って起こしたりするんだ。こっちだて寝起きが悪い のは反省してるけどよ〜・・・んな起こし方されたら起きたくても起きれねーよなー。ったぁくよぉ〜』


「興覇、ひとまず昨夜の晩酌の礼、返させてもらったぞ?」

だが、怒られるのは怒られるだろうけどな。

今は安らかに眠っているが、起きたときに事の事情を説明され青くなるだろう甘寧を想像し、夏候惇はかすかに笑みをこぼした。



そして、夏候惇が帰国する日。

「元気でな。夏候惇」

「お前もな、餓鬼」

その日は晴天。絶好の昼寝日より。

「あ、そういえばよ〜・・・・」

「何だ?」

俺は少し申し分けない気持ちで言った。

「この間、俺あんたんとこで寝ちまって・・その、悪かったな」

酒を飲み交わした後、まったく記憶が無いんだ。んで、夏候惇に聞いたらどうやら俺はそのままこいつに寝床まで運んでもらってしまったらしい。

起きてみたら、まったく知らない部屋で寝ていたので正直かなり驚いた。(その所為で俺はその後に、殿に大目玉を食らった)

「いや、寝床はもう一つあったからな。気にするな」

「そっか。あんがとな」


『周泰には、きっと・・・・何も、言わないでいる・・・』

『何故?その思いを伝えないのか?』

『んなこと・・俺の性分じゃねぇーよ・・・・』

『でも、好いているのだろ?』

『そう・・・だけどよ・・・・・』

『怖いのか?』 

『別に怖い・・って分けじゃねぇーけど・・・・なんか言えないような、そんな気がするんだ・・・きっと、答えが見つからないんだと、思う・・・』


「餓鬼」

「ん?」

「思いを伝えるのには、勇気がいる。でもな、思いを伝えられないのは別に勇気が無いからじゃない。勇気を持っていても、使い方が分からぬだけだ」

「は?・・・何、言ってんだよ?」

何のことを言っているのかさっぱりわからない俺に、夏候惇は苦笑し、

「いや、・・・ひとまずは、答えらしきものは与えたからな?あとは、自分で精々頑張るんだぞ?」

そういうや否や、馬にまたがり散っていた護衛兵に声をかけた。

「あ、おい!!」

「じゃぁな。次に会うまでに、自分なりの答えを見つけておくんだぞ?」

「だから、何のことだよ!!?」

俺の問いに答えぬまま、夏候惇は兵を引きつれそのまま呉国から自国へと帰っていった。

「ったく、何言ってやがんだよあいつは・・・?」

俺は、暫くあいつの姿を見送ってから城へ続く帰路についた。


今日は晴天。昼寝にはもってこいだ。

「あ、そうだ。せっかくだから何か美味いもの買って帰るか」

・・・・・あいつは、食うかな・・・?

「ん〜・・・・一か八かだ!!よし!!周泰の分も買って帰ろう!」

そう言うと、俺は近くでいい匂いを漂わせてる包子を売っている店へとよった。









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はい。読んでくださって本当にありがとうございます。
この作品は、裏の「酒」の少し前の話になります。
(それなのに、少し先の話を先に出しちまったよ;)
ひとまず、今回夏候惇は甘寧を甘やかすだけ甘やかしてみました。
ちょっとそうゆーのを書きたかった。
んで、もっとこの先ほのぼのとしたものも書く!!(宣言)
ふぁ〜いと。

頤の意味は下あご、というのもありますが、この作品ではもう一つの意味の「減らず口、悪口」を指します。

ちなみに、本文の最後に出てきた「包子」(パオズと中国語で読みます)とは中華まんや肉まんのことをさします。
以上。